防災を「楽しくしっかり学ぶ」 -イザ!美かえる大キャラバン!2018 in 神戸ー

ハート防災Jです。神戸取材の目玉「イザ!美かえる大キャラバン!2018」にやって来ました。イザ!カエルキャラバンは、震災後10年の記念事業として2005年に神戸でスタートし、今では全国各地で行われている防災イベント。

コンセプトは、防災をもっと身近に、もっと楽しく。家族や友達と楽しみながら防災知識が身につくのが人気の秘密です。

参加は無料、誰でも自由に参加できます。会場は神戸の新都心「HAT神戸」内のJICA関西、人と防災未来センター。近くには兵庫県立美術館も。

「イザ!カエルキャラバン!」は、地域の防災訓練と、美術家藤浩志さんが考案したおもちゃ交換会「かえっこバザール」を組み合わせた防災イベント。開催当初は、お茶らけてるなど風当たりも強かったそうですが、楽しみながらしっかりと防災を学ぶことができる機会として神戸に根付き、今年で13回目の開催となります。

運営するのは、NPO法人プラス・アーツ。「防災」「教育」「まちづくり」などの分野において、既成概念にとらわれないアート的な発想や想像力で、課題解決や活性化、新たな可能性を追求することを目的としています。理事長の永田さんが、2005年の第1回イザ!カエルキャラバン!を実施したことをきっかけに発足しました。

開催当日は雪が舞う寒い日でしたが、会場は家族連れを中心に子どもからお年寄りまでいっぱい。防災というと硬いイメージが先行しますが、「えっ!これが防災イベント?」という感じで、笑顔と熱気に包まれていました。

会場内の様子をレポートします。

どれにしようかな~。ポイントと交換できるおもちゃを探します。

おもちゃ交換の流れは、①遊ばなくなったおもちゃを持ってきてカエルポイントと交換。②防災プログラムに参加したり、お手伝いしてもポイントがもらえます。③そのポイントで会場内にあるおもちゃと交換します。

持ってきたおもちゃを、かえっこバンクでポイントに。なかなか、まあまあ、そこそこ、でポイントが変わります。ちょっとした表現にも遊びゴコロが。

会場のいたるところで、クイズ形式、ゲーム形式の防災プログラムが行われています。

毛布で担架タイムトライアル 子ども達真剣です。

ジャッキアップゲーム ナマズ(地震)で下敷きになったカエルさんを、どうやって助け出そうかな。

すごろく遊びでぼうさい学び 孫と一緒に防災知識を学ぶ、おじいちゃん、おばあちゃんも数多く見かけました。

その他にも、歌や紙芝居、ゲーム等、いろんな切り口で防災を学ぶコーナーがあります。

和歌山大学災害科学教育センターのトイレが大変プログラムコーナーでは、新聞紙、ペットシート、レジ袋を使ってmyトイレを作成。楽しみながらどんどん知識が膨らみます。

イベントの運営主体はプラス・アーツですが、学生やボランティア、団体、色んな方たちが参加し、各コーナーを構成。

神戸市中央消防署の人達もイベントを盛り上げます。

水消火器で的当てゲームの的もカエルさん。イザという時にこの経験が活きてきますね。

2005年のスタート当初からある定番コーナーから新コーナーまで、JICA関西の1F~3Fで、20を超えるプログラムが実施されています。BOSAIキッチンは、今回初登場の目玉企画。順番待ちで実際に作ることはできませんでしたが、中の様子を見させていただきました。

災害時の食料備蓄の為に、「非常食」と「いつもの食」のボーダーを消してみようという試みで、お鍋とポリ袋でBOSAIレシピづくりを行います。

材料となる、栄養満点、調理が簡単な非常食の紹介。

お皿の代わりに紙の容器を作り、耐熱性ポリ袋を使った調理で、

炊き込みご飯、かぼちゃの豆乳スープ、ユニバーサルチョコの完成。ポリ袋恐るべし。

スタンプラリーも開催していて、各コーナーを回ってスタンプを集めるとガラガラ抽選に挑戦できます。魅力的な景品が揃っていました。とにかく、色んな工夫で防災を楽しく学ぶ仕掛けが満載です。

イザ!カエルキャラバン!で行われている防災プログラムは、阪神・淡路大震災の被災者に聞いた生の声がベースになっています。困ったこと、知ってて良かったこと、防災訓練に期待することなど。理事長の永田さんが、「防災はまちづくりと同じで、コミュニケーションとブランディングが大事」と言っていました。名前を聞いても防災イベントってわかりませんが、ここに来れば防災を学べる。それでいいんだ、と思いました。

驚くのは、人でいっぱいなこと。そして、遊び感覚で楽しみながらも真剣な子どもたちの顔。親なら、自分たちの命を守る防災知識を楽しく学ぶ場があれば、子どもと一緒に参加したいですよね。

防災を学ぶためには、楽しさや遊びゴコロ、ネーミングやデザインの面白さが必要だと感じました。そして、スタッフ自身がそのプロセスを楽しみながら、毎回工夫改善を繰り返していくこと。人が集まらなければ、そこから何も産まれないですから。

静岡で開催される日が来ることを期待しましょう。

防災プロデューサー永田宏和氏に聞いた『伝わる防災への道』

ハート防災Jです。防災の世界では知らない人はいない(らしい)永田宏和さんにお会いしてきました。

防災素人の私は知るはずもなく、お恥ずかしい限りですが(汗)。

永田さんは、「防災をもっと身近に、もっと楽しく。」家族や友達と楽しみながら防災知識が身に付くイベント「イザ!カエルキャラバン!」を運営するNPO法人プラス・アーツの理事長。

防災プロデューサーとして日本全国、最近は東南アジア・中南米と、世界を飛び回ってる凄い人なんです。詳しくはこちら

NPO法人プラス・アーツ http://www.plus-arts.net/

イザ!カエルキャラバン! http://kaeru-caravan.jp/

 

取材した1月28日は、「イザ!美かえる大キャラバン!2018」(神戸市のJICA関西にて開催)のイベント当日。

2005年に神戸で始まった防災イベント「イザ!カエルキャラバン!」は、今では日本各地で開催されるようになり、今年でもう13年目です。

そのきっかけ、道のりについて聞いてみました。

永田さんは敏腕プロデューサーというより、優しいお父さん、といった印象。

 

防災に活きている、ブランディング と まちづくり のノウハウ。 

「大学卒業後、ゼネコンに就職したんですが、まちづくりに興味があって、独立して店舗建築や立ち上げの仕事を個人で始めました。店づくりには、ネーミングやロゴ、看板、ホームページなど、店をどう伝えるか、ブランディングが大事。まちづくりでは、おじいちゃん、おばあちゃんに揉まれたことが大きくて、本音の部分でコミュニケーションできないと相手にしてもらえませんから(笑)。ブランディングとまちづくり、その2つを足したのが、プラス・アーツの防災です。」

やっと自分の番が来た!

「2005年に震災後10年の記念事業で声が掛かり、それがすべての始まりでした。1995年の震災当時は、ゼネコンで働き始めて2年目の時、実家も被災し、当時まちづくりにも関わっていたので、自分も現地入りして役に立ちたくて志願したのですが、叶わなかったんです。みんな神戸に駆り出されて、ノイローゼになる人もいて、でも自分は行けない。ボランティアで出向きましたが、たまに行くだけでは役に立たないんですよ。正直しんどかったです。だから、この話が来た時には、やっと自分の番が来た!という感じでした。東日本の時も同じような思いの人がいたのでよく言いました。10年目でも関われる色んな関わりかた、やり方、役割がある。忘れてかけている時こそできることがあると。

大きかった寄藤文平さんとの出会い。防災が伝わるように。

「2005年のイザ!カエルキャラバン!のために、170人近い被災者にインタビューしたんです。その後、そこで集まった防災の教訓や知恵、技を本にまとめようというとき、イラストどうしようという話になって。ブランディングの仕事をしてる時(今でもやってますが)に見たデザインの本で寄藤さんのイラストを見て、一度は一緒にしたいな~と考えていたのを思い出して、そこから猛アタックです。何度も断られましたが、最後は粘り勝ちでした(笑)。」

「彼のクリエイティブの力で大きく変わりました。防災が伝わるようになったんです。寄藤さんのデザインはグローバルだし、デザインだけでなく企画もされるので、アイデアがどんどん広がっていくんです。そのアートな発想と創造力は、防災を伝える上で欠かすことができません。コピーライターの岡本欣也さん、建築家の曽我部さんも同様です。防災という難しい課題を一緒に乗り越えてくれる仲間との出会い、それがプラス・アーツの活動を支えています。出会いというか、無理やりですけど(笑)」

神奈川大学曽我部研究室で取り組んだプロジェクト。 新聞紙を使ったシェルター「ワッフルドーム」の制作動画はこちら

「楽しみながら、しっかり学ぶ」 防災の専門でないことが良かった。

「2005年に声が掛からなければ、防災の仕事はやっていなかったと思います。防災もまちづくりのひとつなんです。イザ!カエルキャラバン!は、地域の防災訓練プログラムと、美術家の藤浩志さん(プラス・アーツ副理事)が考案したおもちゃ交換会「かえっこバザール」を組み合わせた防災イベントです。そのベースにあるのは、被災者から集めた声でした。防災というと、難しい、硬いイメージが先行するところを、いかに楽しみながらしっかり学ぶようにできるか。このしっかりが大事なんです。開催当時は、おちゃらけてるとか風当たりも相当きつかったんですよ(笑)。でも、自分には170人近い被災者の生の声があり、信念もあったので迷うことはありませんでした。。防災の専門でなかったことが、逆に良かったのだと思います。防災に対する既成概念がありませんでしたから。」

災害はいつもそこにある。より日常にするため

静岡は未被災地ですが、地震に対する防災意識は高く、ハード面も充実してるし、頭の中にはある。でもリアルじゃないし、行動に結びつかない。文化やアートの力で防災に光をあてようというのが、HEART防災の取組みなのですが、永田さんはどう思われますか?

「今、『災害イツモマインドセットPROJECT』をやっていて、起こしたいのはムーブメントなんです。それに近い話かなと思います。普段の生活の中では考えることのない防災を、より日常的にしていくという考え方。災害はいつもそこにある、という、マインドそのもののリセットができないか、と取り組んでいます。ららぽーとで実際にやっていますが、普通に買い物に行ったら、家具転倒防止やローリングストックのコーナーがあって、防災グッズがあり、ゲームにふれあい、自然と学べる環境が大事だと思います。」

詳しくはこちら http://saigai-itsumo.com

伝える側が、あの手この手を持っていないとダメ。静岡でBOU.LEAGUEとかやって欲しいな。

「仕事の依頼のほとんどは、企画から考えて欲しいというものです。以前、陸上の朝原さんと神戸市消防局と組んで企画監修したBOSAI五種競技という、スポーツの要素を取り込んだ5つの防災プログラムがあって、その企画が今、BOU.LEAGUE(防リーグ)という形で行われています。防災意識が高い静岡でやったら面白いし、もっと身近になると思いますよ。やっぱり、伝える側があの手この手を持っていないとダメですね。そういえば、静岡で脱出ゲームとかやってましたよね。凄くいいと思います。」

BOU.LEAGUE(防リーグ)はこちら https://bouspo.jp/

これからは担い手を増やすことが柱になっていく

「企画や監修の仕事もありますが、これからは防災プロジェクトの担い手を増やしていくことが中心になっていくと思います。全国に現在2万人の講師がいて、カエルキャラバンも伝授しています。教える側を育てる事が、防災をもっと身近に楽しく伝える事に繋がります。それは海外も同じ。アートな発想、創造力で、どこまで広げられるか、挑戦ですね。」

 

永田さんのお話は、難しい言葉は何ひとつなく、防災素人の私にもとても分かりやすかったです。プラス・アーツが扉を開けた「伝わる防災」が「いつもそこにある防災」へと繋がり、大人から子供まで防災知識が自然と広がることで、いざという時の備えが整う社会に変わっていく、そんな可能性を大いに感じるお話でした。

静岡の防災には、楽しくしっかり防災の、”楽しく”をもっとプラスしていく必要があるかもしれませんね。

防災学習室[しえ~る]に行ってきました! - 焼津市

こんにちは!HEART防災ライターのYです。

今日は、昨年3月にリニューアルオープンした、焼津市の防災学習室「しえ~る」に行ってきました。

「しえ~る」って不思議な名前ですよね。

伺ってみたところ、「しえ~る」とは、
学習室への来館を通じて「防災を理解できる!備えができる!」という願いをこめて、

「~をすることができる」という意味の焼津弁である『しえ~る』と名付けたそうです。

中にはいると、いきなり地震を体験できるコーナーが!

ドキドキしながら、体験開始!

まずは熊本地震から・・・

揺れがすごくて、写真が撮れませんでした!

ヒールを履いて体験したのですが、立っていられなく、
手すりを持ってはやくこの体験が終わることを祈りました・・・(笑)

ぜひ、この揺れは、体験してみなくてはわからないので、
しえ~るで体験されることをおすすめします!

熊本本震のほかにも、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)や駿河湾沖地震(2009年8月)の揺れなども体験できます。

地震の体験のあとは、焼津市防災航空隊「ブルーシーガルズ」が撮影したドローンによる空撮映像を組み合わせ、上空からの市内遊覧をお楽しみいただける『焼津空中散歩』もおすすめです!

癒されたあとは、しっかりお勉強です。

広い学習テーブルがあり、
焼津市の防災地図が表示されてるテーブルを囲み、避難施設の配置など焼津市内の状況を確認できます。

わかりやすいイラストと説明でかかれています。

さらに、異常気象を3D映像で体感できる風水害体験コーナーもあります。

本当にこわかったです。

他にも、
シアタールームや、防災グッズの展示など、さまざまなコーナーがありました。

防災について楽しくまなぶことができます。

みなさん、ぜひ一度、しえーるへ!

所在地:防災学習室しえーる

静岡県焼津市石津728-2 消防防災センター1F
入館料:無料
休館日:年末年始

 

24時間365日無料公開で震災当時の姿を ―神戸市【神戸港震災メモリアルパーク】―

ハート防災のJです。神戸にやってきました。震災後に訪れるのは初めて。震災の22日前に産まれた息子が23歳になりましたが、あの朝の衝撃は今でも覚えています。当然ですが、このブログを見ている人の中には、当時まだ産まれていない人もいるんですよね。

静岡から新神戸までは新幹線で2時間ちょっと。目指すは「神戸港震災メモリアルパーク」。被災当時の神戸港を一部保存し、24時間365日無料で公開している屋外見学施設です。

JR元町駅から繁華街を抜け、南へ歩くこと12分、メリケンパークが見えてきました。

公園の中に入り港の方に進むと、左手の港側に「神戸港震災メモリアルパーク」があります。

特に入り口も無く、どこから見るのが正解かもわからぬままに廻りました。(実はこの写真もひと回りしてから存在に気づき、同行のYさんと撮ったものです)

モニュメント(記念碑)は、震災が起きた時間、5時46分を表わしています。そして見えてきたのは・・・

街灯が傾き、コンクリートが砕けたメリケン波止場の一部。

被災した当時の状況を、できるだけそのままの状態で固定して、見える形で残しているそうです。

そうなんです。映像や写真はいっぱいありますが、実際の被災状況を見れるところはほとんどないんです。今回の神戸取材で、数多くの映像、写真を見てきましたが、一番頭に残っている絵はここかもしれません。23年経っても風化しない貴重な存在です

 

この状態がここだけでなく、阪神・淡路地域全体で起きたということ。今の神戸の街からは想像できません。

当時の波止場の様子を見れるコーナー。

神戸港周辺の被害状況を、地図と映像で見ることのできるコーナーもあります。

映像コーナーは、9:00~22:30の間、いつでも何度でも見ることができます。

韓国語、中国語、英語、日本語、4か国語対応。日曜日でしたが、訪れている方の8割以上が外国の方でした。地元の方にとっては、当たり前にそこにある存在なのでしょう。

平成9年7月竣工だから、もう20年以上、ここで震災の惨さを伝え続けてるんですよね。風化しないように。

今の神戸の街には、その欠片すら見つけることができません。その復興ぶりは見事の一言。

メモリアルパークの正面にそびえ立つ「ホテルオークラ」と崩れた岸壁の対比に、人間の凄さと怖さを感じずにはいられませんでした。

忘れたころにやってくる災害。

忘れなければやって来ない、と祈っているように見えた「神戸港震災メモリアルパーク」でした。

 

「災害対策施設」という選択肢 ―浜松市【マブチ工業】― 

震災現場を目にして、“自分たちにできること”の先にあったもの

ハート防災のJです。災害対策施設って聞いたことありますか。ネットで調べても、定義らしきものはなく・・・。

今回は、自社で災害対策に取り組まれ、今年1月に浜松市から「企業の社会貢献(CSR)活動表彰」の優秀賞を受賞された浜松市の工務店「マブチ工業」さんに話を伺いました。

馬渕社長です。以前一度取材させていただいたことがあり、一見強面ですが、とても気さくで優しく勉強熱心で、実行力の塊のような方です。その行動力は、2度の震災の時にも・・・。

阪神淡路大震災の1か月後、ゼネコン仲間の陣中見舞いに訪れた際に、悲惨な街の状況を目の当たりにした馬渕社長。ただ、その時は何もできなかったそうです。そして、東日本大震災の時は、バイク仲間のSOSを受け、一番困っている赤ちゃんのおむつやミルクを届けようと、震災の10日後、自ら現地に向かいました。(物資を送ろうと思って色々と聞いて回ったが、そこまで届くかわからない、と言われたそうです。じゃあ、自分で行こうって。すごいです、この行動力。)

津波の後に残った水と瓦礫の間を抜けて、現地に向かう中で目にした光景は、あまりにも酷かった。特に女川地区は想像をはるかに超えるものだったそうです。

その体験から、今この地で「何か自分たちにできること」がスタートしました。

まずは、被災地で一番困ったという携帯電話の電源確保の話を聞き、現場に行く際に積んでいる発電機を、会社に戻ったらすぐに充電するようにしました。何かあった時に、近所の人が使えるようにです。

そして昨年、社屋増築の際に、災害対策施設を完備。それは、会社裏の駐車場にありました。

パッと見ではわかりませんね。 結論から言うと、

災害が起きて電気もガスも水道も使えない時に、近所の人がココに来れば、水が飲めて、充電できて、料理が作れて、トイレもあって、夜でも明るい、そんな嬉しい施設なんです。

上の写真がバルク貯槽システムといって、ガスを燃料に下写真の発電設備と連動して電気を作ります。その電気が、社屋2階の灯りをつけ、夜でも駐車場を明るくします。

馬渕社長いわく、「暗闇のなか不安でいっぱいの時一番大切なのは、少しでも明るいところに人が集まり寄り添うこと」

貯水タンクには、なんと10tの水が。トイレの水にも使用。トイレは、ここ以外にも、駐車場通路に、下水に繋がる口を設けているから、非常用トイレとワンルームテントをセットにすれば、簡易トイレになるとのこと。トイレ、大事ですよね。

炊事場や炊き出しの道具も揃えてあり、4月には近所の子供たちを集めて、炊き出しを計画中。

災害対策車のトラックにも、1.5tの水と発電機(3日は持つ)を搭載。

場所や被害の程度にもよるけど、今までの経験から、3~5日我慢できれば何とか復旧してくる、とのこと。

なぜ、ここまでやるのか?

自分でもよくわからない。補助金も多少出るけど、ほとんど持ち出しだからね。」って、笑う馬渕社長。

でも、東北を見てなかったら、ここまではやらんかったかな~」とボソリ。

行動によってのみ状況は変わる。

そんな言葉がピッタリの馬渕社長でした。

帰りに、携帯用浄水器をいただきました。これで簡単に雨水も飲み水に変わるそうです。今度試してみよ。

取材協力/株式会社マブチ工業 http://mabuchik.com/

災害対応型SSって何じゃ?? ―静岡市【中村石油】―

ハート防災のJです。災害対応型SSって、みなさんご存知でしたか?

防災無知の私は、胸をはって「すみません。はい、知りません」

早速ググってみると、全石連のホームページ「石油広場」に、その説明がありました。http://www.zensekiren.or.jp/08syohisya/0807

“「災害対応型給油所」とは、発電設備及び給水設備の設置により、災害時に電気、水道がストップした場合でも、給油所や水の提供が可能な、いわば災害に強い給油所のことです。”

ほ~。それは心強いではないか。

でも、ガソリンスタンドって、油あるし、燃えたら一番やばいんじゃないの?って単純な疑問が・・・

その答えは、以下のページにありました。

内閣府防災情報のページ「みんなで減災」http://www.bousai.go.jp/kyoiku/keigen/torikumi/tsh22002.html

ガソリンスタンドは、可燃性の危険物を取り扱っているから、消防法、建築基準法上、厳しい基準の元に建築されていて、地下のタンクに引火しない構造(地下にタンクがあることも知らなかったよ)になっているそうです。

阪神・淡路大震災の時には、周りの建物が倒壊、焼失する中、ガソリンスタンドが延焼を食い止める現象が数多くみられ、その安全性に注目が集まったとのこと。

ほ~。それは、ますます心強いではないか。

ちなみに、先述の石油広場に、災害対応型給油所の全国マップ(平成28年11月現在)があったので、静岡県内の設置状況を見てみると、なんと31か所も。堂々の全国1位でした。

でも、防災先進県しずおかのPRパンフレットの中には入ってなかった。こういう民間の取り組み、もっとアピールしてもいいと思うけどな~。

ということで、百聞は一見にしかず。災害対応SSを大きく打ち出し、存在を知らしめてくれた、静岡市曲金の中村石油さんを取材させていただきました。

店長の山口さんが親切に案内してくれましたが、とってもシャイな方で写真はNGとのこと。皆様にお見せできなくて残念です。気になる方は、お店までどうぞ。

全く意識したことのなかった防火壁。これが延焼を食い止めるのか、と思うと、頼もしく見えてくるから不思議。山口さんからしたら、ごく当たり前のことらしいですが、一般人にはわからないですよね。「そんなもんすかね」とさりげない感じが、また頼もしい。まさに防火壁のようなお人だ。

この防火壁は、ガソリンスタンドでは当然のこと。でないと、消防法、建築基準法を通らないから。さて、本題は災害対応型SS。

ここまでアピールしてくれると、わかりやすいですよね。

災害対応SSにも色々あるけど、要は発電設備と給水設備を両方備えている給油所。中村石油の場合は、太陽光発電と内燃式の発電、両方あります。

でも、どこにあるんだろう?

山口さんにお伺いすると、スタンドの外に案内されました。

消防法の関係で、スタンド敷地内には設置できないそうです。シャッターを開けて、見せていただきました。

手前の扉の空いているところが、太陽光発電を制御するパワーコンディショナー(太陽エネルギーを交流電力に変換して家庭用電源などに利用できるようにする機械)。そこで産まれた電力を蓄電池に充電し、スタンド内のLEDは、ほぼ賄えるそうです。

そして、倉庫の横にあるシートを開けるとそこには・・・

200Vの電源まで供給可能な、ディーゼル発電機。軽油を入れていれば、ずっと発電し続ける。ガソリンスタンドだから、軽油の心配もない。災害時の強い味方ですね。

えーと、水はどこにあるんだろう?スタンド東側に案内されると、そこには貯水タンクが。

常に4000ℓの水が貯水されているとのこと。見えないところに、こんな努力があったなんて。

 

災害対応型SS。

平時では顔を出すことのない数々の機能が、有事の際には災害対応の強い味方に変身し、火災の延焼を食い止め、地域に灯りを点し、水や電気を供給する。

それを後押しするのは、地域に貢献するという企業文化。

何も起こらず、使われることのないことがないのが一番という山口さん。それでも、常に機能するように定期点検を続ける。

あって良かった、が来ない日を祈りながら。

取材協力/ 静岡市駿河区曲金3丁目4-6  中村石油 http://nextoil.web.fc2.com/

スタンド西隣は、系列店の葉山珈琲さん

※本記事は、2018年1月23日に取材しました。

防災公園から情報発信ー吉田町【北オアシスパーク】ー

「防災公園」とは

「大都市を中心に地域の防災構造を強化するために整備され、非常時の防災拠点、避難地、避難路としての役割をもつ都市公園や緩衝緑地。(中略)かりに大震災が発生した場合、被災直後の混乱状態や、人の生命維持のための水・食糧などの物資が極端に不足した状態から回復するまで、およそ3日間はかかるとされている。防災公園は、その間の避難者の生活を補助するさまざまな機能を有する場所であり、災害時にスムーズに利用されるためにも、平常時は広大なオープンスペースや緑地を生かし、高齢者や乳幼児、子供、障害者など、幅広い人たちに親しまれる公園として整備された施設であることが望まれる。」コトバンクより 全文はこちら

ハート防災Jです。平成28年10月にオープンした吉田町の「北オアシスパーク」にやって来ました。

東名吉田インターから南へ2分ほど、道路案内標示もあり迷わず到着。完成して1年半なので、まだ新しい公園です。

防災というとどうしても地震を想定しますが、大規模な火事、洪水、がけ崩れも災害です。そうした災害が起きた時、即座に対応できる公園があるのは心強いです。

園内には、「かまどベンチ」「防災パーゴラ」「マンホールトイレ」「防災用井戸」「緊急用飲料水備蓄タンク」など、防災時に使用できる設備が整っています。

北オアシスパークの概要はこちらhttps://www.yoshida-machizukuri.jp/oasis-park

公園を見る前に、正面にあるオアシス館に寄ってみました。

ここだけ見れば、オシャレなカフェ。入り口前にはテラス席があります。

中に入ると、何やら床に・・・。

空から見た吉田町の写真です。

津波避難タワーや学校、公園の場所がマッピングされていて、吉田町全体の避難所状況がよくわかります。壁でなく床に置いたことで逆に見てしまう、ある意味アートな発想ですね。

防災用品展示室は、自由に閲覧可能です。

非常食の紹介コーナー。

防災に関する情報誌もいっぱいで、一部は持ち帰りOK。吉田町の地震防災ガイドブックは、なんと全40Pで内容がとても充実していました。ブロック塀の点検方法まで図解で説明していて、吉田町の防災意識の高さが伺えます。

マンホールトイレ。実物を見るのは初めてです。

家具・家電の転倒防止器具の紹介も細かい。ネットの写真だけでは伝わりにくいものを実物と図解で説明しているので、転倒防止器具を検討する際には見に来ると参考になると思います。

「帰宅困難時・災害時睡眠3点セット」こんなものもあります。

北オアシスパークは単なる防災公園でなく、防災情報発信基地という顔を持っています。災害時に生死を左右するのは情報。その大切さを忘れてはいけません。

防災以外の町の情報も充実しているので、吉田町への移住を検討される方は一度訪れてみるといいでしょう。良質なサーフスポットも近いので、サーファーファミリーにはおススメです。

公園の方はというと・・・。

とにかく広いです。手前に見える、丸いのは何でしょう。

マンホールトイレ用のマンホール。全部で8個あります。震災直後、水が使えない時に欠かせないのが、流す必要のないトイレ。水洗トイレが普及する前には想定されなかった問題です。便利になることで、今まで想定されない課題が産まれる。携帯が無いと何もできない人が増えていくことも怖いですね。20年前にスマホは無かったですから。

オアシス館の裏に駐車場があります。優先駐車スペース1台分を含めて51台が駐車可能。

そこから見えるのが、耐震性の貯水タワー。でかいです。

タワーには、吉田町の名所を案内するイラストマップが描かれています。無味乾燥なタダのタンクでなく、見て楽しくしようとするココロ、姿勢がいいですよね。ハードも、ハート(心)を込めて表現することで何か違うものに変わる、そんな気がします。

多目的広場。広大なスペースですが、災害時は68棟の仮説住宅用地になるので、遊具は周りに配置されています。比較的空いているので、子どもをのびのび遊ばせたい時におススメ。彩りもいいですね。

トイレもお洒落。

防災公園というと、どうしても固いイメージがありますが、避難所として使うことは災害が発生したとき。日常の中で楽しく遊べることが大事です。イベント会場としても利用が進む北オアシスパーク。4月28日、29日には、昨年好評だった「オアシスマルシェ in YOSHIDA 第2回」が開催されます。詳細はこちら(静岡新聞@S)

花、カフェスペース、床の写真、イラストマップ、遊具の色、お洒落なトイレ。

ちょっとした工夫やデザインが嬉しい「北オアシスパーク(吉田町防災公園)」でした。

足下にのこる津波の跡 ―湖西市【おんやど白須賀】―

ハート防災ライターのです。

静岡県内の防災に関わる、ヒト・モノ・コトや歴史などをレポートすることとなりました。

防災素人の私で良いのか?ラーメンならまだしも?という自戒の念を抑えつつ、素人ならではの視点で、少しでも多くの人に響く情報が届けば幸いです。

第一回は、湖西市にある「おんやど白須賀」。

津波に関する資料が展示してあるという情報を元に、何のアポもあても無く、訪問してきました。

「おんやど白須賀」は、東海道宿駅開設400年を記念し、白須賀宿の歴史と文化に関する知識を広め、資料の保存と活用を目的に設置された白須賀宿歴史拠点施設です。

おんやど白須賀の紹介はこちら http://kosaicity.com/onyado.html

白須賀宿は元々、汐見坂(潮見坂)下の海岸沿いにあったのですが、宝永4年(1707年)の津波被害に宿場が全滅、今の坂上の台地へ移転したのです。

カメラをぶら下げたおっさんが何やらしているぞ?そんな不安を払拭すべく撮影許可をいただいた所、アポなしにも関わらず館長の森さんが親切に案内してくれました。

入り口から中庭を抜け、展示室に入ると正面一面に、津波の記録コーナーがあります。

まず、目を引くのが、何か土の塊のようなもの。なんだ、これは?

2001年の道の駅建設の時に発見された土層を剥ぎ取ったもので、過去の津波の跡がわかるそうです。

1498年、1606年、1707年に起きた津波の爪痕が土層という形で残っていたのです。近くで見ると、少し黒っぽく、土質が違うのが分かります。

白須賀を襲った地震、津波の年表を見ると、改めて

地震、津波は繰り返すもの

自然災害から逃げることはできない

ことを実感します。

1707年の津波による全壊の後も、1854年、1944年と大きな津波被害に遭っています。

特に、南海トラフで起きた地震が静岡県に大きな津波被害をもたらし、その周期を見てみると、これから50年の間に同規模の地震が来る可能性が大きいことを、歴史が教えてくれます。

遠州灘、東海道、旧白須賀宿跡の位置関係がわかる空撮写真

1707年の宝永地震の翌年に高台へ移転した

 

これらの資料から感じるものは人それぞれ違うと思いますが、

繰り返す地震・津波は、忘れたころにやってくる

自然には勝てない人間の弱さ

それでも復興しながら生き続ける人間の強さ

が、足下に残る土層から伝わってきました。

とりあえず、津波予報が入ったら、何は無くとも高台へ走れ。

津波は防げずとも、津波予測の技術は、100年前より進化しているようなので。

 

取材帰りに、潮見坂ポイントへ。

波の良い時には、大勢のサーファーで賑わうメジャーポイントのひとつ。

サイズ、波質が良ければ入ろうと思いましたが、諦めました。

津波の時は、どんなだったのだろう?

宿場を飲み込む波は想像できません。

津波注意の看板。

どんな注意をすればいいのでしょうか。