【レポート】キックオフ座談会第2弾「“未”被災地のための防災アートは可能か?」

ハート防災Jです。3月3日(土)17時~、ハート防災キックオフイベント座談会の第2弾に行ってきました。2月25日に焼津で開催された座談会に続き2回目の開催です。

会場は三島市民文化会館。テーマは第1弾同様「“未”被災地のための防災アートは可能か?」です。

コーディネーターも前回と同じく平野さん。テーマは同じでも、パネリストの顔ぶれ、専門性は随分違います。どんな話になるのか楽しみですね。

パネリスト:
小山真人氏(静岡大学教育学部教授/防災総合センター副センター長)
鈴木雄介氏(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員)
住 康平氏(Cliff Edge Project代表/美術家)
松本圭司氏(郷土雑学)
コーディネーター:
平野雅彦氏(静岡大学教育学部特任教授/人文社会科学部客員教授)

☆座談会パネリストプロフィールはこちら

まずはパネリストの自己紹介から。

まちめぐり案内人のおひとり、小山真人教授。「防災・減災のための知識、技術、社会の徹底とそれを伝承すること」が防災文化であり、ジオパークもそのひとつ。地球と地域のことを、知って守って役立てるのがジオパークの基本構想。

文化や芸術も、大地=ジオと繋がっていることを図解で説明してくれました。

同じく案内人をつとめた鈴木さんは、自然災害を、災害リスク=自然現象×脆弱性(社会の弱さ)というわかりやすい図式で紹介。

登呂遺跡周辺の自然堤防と昔の人々の居住場所との関係や、三宅島の噴火を鎮める下田市白浜神社の祭りの事例に触れながら、「美しい自然は災害の語り部」であり、自然を楽しむことが自然災害を理解することにつながること、自然現象は必ず起こるという確信を持てるかどうかの重要性について話してくれました。

2013年に三島に移住した住さんは、断層、盆地、トンネルの3つが集合する「丹那」という土地に興味を持ち、2014年からCLIFF EDGE PROJECTをスタート。美術家の視点で素材や情報を集めた「丹那の記憶」なる展覧会を開催しました。

2015年には「半島の傷跡」展を開催。丹那断層をはさんで、丹那盆地の北西にあるギャラリーKURUBUHI-BASEと南東にある寺院渓月山長光寺を鞘堂に見立て、その中にモニュメントを設置しました。丹那という土地の特徴や歴史をアートで表現することが、そこから何かを感じ想像することにつながると。

まちめぐりの同行中も、その雑学ぶりを発揮していた松本さん。お話からは、狩野川台風を経験した松本さんだからこその、復興で痕跡が残らないこと、風化していく事への危機感が伝わってきました。お題に対して「キックオフで蹴られたボールを楽しもう」と言いながら、「文明が進化しすぎたことによる人間独自の文明的な災害」についての課題感もお持ちでした。

平野さんから「ジオパーク」での防災アート(?)の活動についての投げかけがありました。

ジオ菓子や、断層をテーマにした生け花展など、自発的に自分の専門分野でその土地を表現している人がいる。ジオパークは人づくりの場でもあると、小山さん。

防災のため、観光のため、ではなく、大地の自然現象が作った上に自分たちの生活があるというのがジオパークの考え。断層も火山も、怖い側面だけでなく恵みの面も理解されるようになって、こういう動きがでてきているのだろう、と鈴木さん。

防災と観光は本来は相反する。防災と言わずに、知らず知らずのうちに災害に強い地域社会を作るのがジオパークの理想とのことでした。

平野さんから、今回のパネリストでは唯一アートが専門の住さんにボールが投げられました。

防災ありきのアートについてはジレンマを感じる部分もあるという住さん。但し、記憶を呼び覚ますという意味で、作品が結果的に防災に機能することもあるだろうという見解も。

ジオについても住さんの活動についても、防災を振りかざすことなく、結果として防災につながるアートだったり文化が生まれる可能性が見えてきたことは、第1回とまた違った部分かなと感じました。

平野さんから、第1回の参加者の声を踏まえて、会場の声をもっと聴いていこうと投げかけると、一挙に4~5名の手が上がりました。仕込みでもなくこれだけ手が上がるのを見たことがなかったので、正直驚きです。

実際の被災者が作品にされることの抵抗感についての質問には、

確かに記憶を呼び覚ます、風化させない事と、当事者を傷つける事は、まさにもろ刃の剣。それでも、人と話しながら見えてくるものがあったり、やることの意味を考えたりしながら、アートで出来る可能性を模索していくのはありかもしれない。正解はないですね。

その他にも、防災とアートの関係の投げかけや、ジオパークを参加者が続けている「ひょっこりひょうたん島」で表現する提案、ジオパークやアートを防災行動に繋げるために防災を目的とした解説が必要では?というお題、自然そのものがアートという話など、多くの質問、意見が飛び交いました。

ここでは、書ききれないので興味のある方は、動画がアップされたら是非ご覧ください。

最後に私が印象に残った言葉だけ少しご紹介します。

「アートは防災無関心層への大きなアプローチのチャネル」

「自然から受け取ったことをニュートラルな形で作品にできることの魅力」

「ジオやアートが、行動変容へのきっかけになれればいい」

「みんなが表現者になればいい。内容がいい悪いではなく、どんどん皆さんが表現してください。それで見る人がどう受け止めるかは、見る人それぞれでいい。」

「アートってそれでいいんじゃないか?」

行動によってのみ状況は変わる。これは私の持論ですが、一番怖いのは無関心、無行動ですよね。

”防災アート”という難しいお題に答えは出ませんが、”防災アート”という石が座談会、ハート防災に関わる人たちの池に波紋を広げることで、何かしらの行動に変化が産まれればいいな、と感じた座談会でした。

みなさま、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

【レポート】キックオフイベント第2弾 まちめぐり◆函南~三島

地球の営みから生じる 美と畏れを感じる。

ハート防災Jです。3月3日(土)、ハート防災キックオフイベントの第2弾「まちめぐり◆函南~三島編」に参加してきました。

当日は天気に恵まれ、三島市民文化会館を13時過ぎに出発。バスの中では、「三島は富士山の溶岩がつくった街」「三嶋大社はその土砂の上に立っていて、石垣は富士山の石でつくられている」「2900年前に富士山で大きな崖崩れが御殿場を埋めた」など、面白い話が聞けました。話をしてくれた案内人のおふたりは、

静岡大学教育学部教授で、火山学、地震・火山防災などを専門とする小山さん

小山さんの教え子で、火山の調査から防災マップにも従事し、現在は伊豆半島ジオパーク推進協議会 専任研究員の鈴木さん。

お二人の詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。

その後も「三島は坂のまちで、沼津よりも30m位高いところにある」「田方平野は昔は入り江で、掘ればしじみがでてくる。地盤がゆるい土地で被害が大きく、火山の恵みで野菜の産地になった」など、歴史的な視点で見ると、なにげない起伏も地球が生きている証拠だということ。うーん、面白いです。

そんな話を聞いている間に、最初の目的地「丹那断層公園」に到着しました。

丹那断層は、1kmもの断層のズレが世界で初めて実証された有名な活断層。川が食い違っていることが地図上でわかります。ジオパーク説明版の下にある、伊豆半島ができる60万年前の図を見ていると、人間はなんてちっぽけな存在なんだ、と思えてきます。

丹那断層一帯の模型を見ながら小山先生が説明してくれました。屋外施設なので、いつでもだれでも見ることができます。

1930年の北伊豆地震によって起きた断層のズレを見ることができました。

写真だけだと分かりにくいので説明版も。丸い塵捨場と水路がずれているのが見えます。場所によっては2mの横ずれが発生し、当時工事中の丹那トンネルを直撃。当時の様子は、吉村昭さんの小説「闇を裂く道」でもよく分かるそうです。小山先生おすすめの1冊。

観察室では、地下の断面図を見ることができます。ちょっと分かりづらいですが、地震の歴史をこういう形で残して公開するということ自体に価値があるということです。

酪農王国オラッチェにバスを停めて、丹那盆地の田園地帯から山側を見学。鈴木さんが、数十万年かけて上下にずれた断層地形の説明をしてくれました。普段は気にすることのない山の尾根にも歴史があります。

オラッチェにて休憩タイム。小山先生絶賛のソフトクリームには行列ができていました。美味しそうです。

伊豆半島ジオパークの案内板がありました。

伊豆半島は、かつて南洋の火山島や海底火山の集まりだったものが、フィリピン海プレートと一緒に北上し、本州に衝突してできたものです。「伊豆半島ジオパーク」は、現在も続く火山活動や地殻変動がもたらす自然の恵み、温泉や湧水、美しい景色や文化などを含め、各スポットを「南から来た火山の贈り物」をテーマに、伊豆半島をまるごとミュージアムとして紹介しています。

詳しくはホームページをhttp://izugeopark.org/

丹那盆地から北上し、次に向かった先は、田代盆地の火雷神社。北伊豆地震の際に横ずれした跡をみることができます。

上から見ると、階段と鳥居がずれているのがわかります。

崩れた鳥居も、そのままの状態で保存されていました。災害を語り継ぐために、地域の人がそのままの状態で残しています。北伊豆地震では死者・行方不明者272人という大きな被害がありました。「なぜ壊れたままなの?」と考えさせることが、事実を風化させない役割を果たすのでしょう。

函南から三島に戻り、三島駅前の浅間神社へ。

遠い昔、富士山噴火があった時に流れ出た溶岩が、ここ浅間神社で止まったことから、別名「岩止め浅間」とも言われています。神様が足で止めた跡が残っているという言い伝えも。

歩いてすぐの所に白滝公園があります。富士山から流れ出た溶岩が三島市北部の台地を作り、亀裂やすき間の多い溶岩は、地下水の通り道となって湧水を生んでいます。白滝公園は、三嶋の一大湧水地で、溶岩から溢れ出る様が滝のようだったのが名前の由来だそうです。

足下には、溶岩がところどころにあります。何万年、何十万年の歴史の中で形作られてきた土地の上に暮らしているんだなと実感します。

防災の話をしていると、地震、津波、噴火など自然災害に目が行きがちですが、自然がもたらす恩恵を忘れてはいけません。自然に対する敬意を失わずに、人間が選択肢を間違えないためには、自分が住んでいる土地を知ること、語り継ぐことが大切です。「地球の営みから生じる美と畏れ。」を学ぶツアーでした。

 

 

 

【レポート】キックオフ座談会第1弾「“未”被災地のための防災アートは可能か?」

2月25日17時~、焼津市役所アトレ庁舎3階の焼津公民館にて、ハート防災キックオフイベント座談会「“未”被災地のための防災アートは可能か?」の第1弾が行われました。

パネリストには、防災やアートに関する専門の方々が揃い、進行はコメンテーターとしてTVで見掛けることも多い平野さん。パネリストは、

窪田研二氏(インディペンデント・キュレーター/KENJI KUBOTA ART OFFICE代表)
藤井基貴氏 (静岡大学教育学部准教授/防災総合センター准教授)
松下徹氏 (SIDE COREディレクター/アーティスト)
松田香代子氏(松田民俗研究所代表)

の4名。プロフィールの詳細はこちらをご覧ください。

https://www.sbs-promotion.co.jp/heart-bosai/panelist_profile

平野さんより、あまり耳慣れない「防災アート」「未被災地」という言葉について投げかけがありました。防災×アートという表現は今までもあるが、防災アートが意味するものは何か?静岡は未被災地と言って良いのか?など。参加者が疑問に感じているであろう部分に触れた上で、

「答えが出ないからこそ、一緒に考える良い機会だし、これが何かのスタートになる。」納得です。

パネリストの簡単な自己紹介から始まりました。

座談会前に実施した「まちめぐり」のおさらいに続き、自然災害常習地帯の暮らしの工夫について語ってくれた松田さん。東北の津波から多くの命を守った神社や寺院がある集落の中の小山を高台集団移転地として平らに造成している現実や、静岡でも見かける平成の命山の話が印象的でした。記憶を記録する意味、災害遺産という考え方の必要性を感じます。

震災をきっかけにアーティストの意識が変わったという松下さん。「自分のために」から「誰かのために」作品をつくるようになったアーティストが多いそうです。最近では、福島「はじまりの美術館」への出品など被災地との関わりもあり、アートな発想やアートそのものが、新たな行動のきっかけになる可能性を示唆してくれました。

静岡大学で防災教育に関する開発研究をしている藤井さん。内容が身近で分かりやすく、笑いも交えながら会場の雰囲気を和らげていました。これから必要なのは「考える防災」であり、「防災の日常化」「防災の多様化」「防災の自分事化」が重要とのこと。紙芝居など、アプローチの内容は、神戸で見学したイベント「イザ!カエルキャラバン」に通じるものがあります。

窪田さんは元美術館の学芸員で、現在フリーのキュレーターとしてアートの可能性を色々な場面で実践、追及されている方。筑波大学と行った「創造的復興プロジェクト」では、芸術やデザインがハードだけでなく、新しい価値観を創造する復興支援につながること、学生が被災地での活動を通して学ぶことの大きさを実感されたそうです。

「防災アート」という定義のないものから平野さんが投げかけたのは、「お祭り」というひとつのワード。そこから話が膨らみます。

松下さんからは、被災地で「一晩だけ特別なことが起こるイベント」を実施したことから、被災地から東京まで風景で繋がることや、普段気づかないことに気づく可能性を体感。

「共に何かをする祝祭性のあるもの」は、共に助け合うことにつながるとは、藤井さん。お祭りだから見える人の多様性、社会的な役割の再認識が、地域防災を進める上で重要であると聞き、なるほどと思いました。

3.11の復興も祭りからだし、災害と防災は常に密接した関係があると松田さんは言います。お祭りには、コミュニティの力を再生するパワーがあると。

非日常だからできる。そこで個人を見直す。社会を見直す。そして日常を高めていく。お祭りが持つ機能が、防災アートの可能性に繋がるヒントが産まれました。

後半はアートが持つ可能性について。

窪田さんは、2015年~「Don’t follow the Window」という、福島県の帰還困難区域で開催中の“見に行くことができない展覧会”を開催する中で
何を想像させるのか?を特に意識したそうです。

アートが持つ、想像力を喚起する力は、防災アートの可能性を広げていきます。

藤井さんからは、「戸惑いを受け止めよ」という言葉が出ました。すぐに答えを求めたり、単純化する現代にあって、複雑化や戸惑いがアートの力だと感じるそうです。答えがあると学習は止まる、アートそのものが「考えるきっかけ」として重要な役割を果たすと。

他にも様々な意見がありましたが、書ききれないので、興味のある方は、座談会の模様を動画にアップしておりますのでご覧ください。

参加者からも活発な質問、意見が出ました。

その中では、防災意識を高める想像力、コミュニティ強化の重要性につながる話、被災地では心のケアの問題から難しい防災教育も未被災地だからできることのヒントなど、貴重な意見があり、もっと参加者との交流があっても良いかなと感じる部分でもありました。

始まる前は、「防災アート」「未被災地」という難しいお題に対してどうなるのかと若干心配しておりましたが、終わってみれば、気づきあり、繋がりありと面白い座談会でした。答えが出るものではありませんが、「想像し、創造し、分析し、超えていく」ひとつのきっかけになったと思います。

皆さま、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

 

【レポート】キックオフイベント第1弾「吉田町/レック株式会社」

津波を受け流し1000人が避難できる3階建て倉庫兼避難所

焼津・浜通りのまち歩きの次は、バスに乗って吉田町に移動。目的地は、レック株式会社の倉庫兼津波避難所です。

車中でまちめぐり案内人の松田さんが、大井川の洪水対策として古くから採用されていた「舟形屋敷(三角屋敷)」の話をしてくれました。

洪水が流れてくる方向に向け屋敷全体を舟形にして水路をつくり、氾濫した水の流れを直接受けることなく後方へ流す設計です。また、屋敷のそばに「水塚」という盛り土をし、竹や木を植えて避難所としたそうです。

その考え方が、津波対策としてレックの倉庫設計に使われていると聞いて更に興味が膨らみます。

吉田町川尻のレック(株)第5倉庫に到着です。

レック株式会社は、昭和54年に焼津で創業した家庭用日用品の製造販売を行っている会社で、現在は東京に本社を置く一部上場企業。洗剤を使わず「水だけで」簡単に汚れを落とす使い捨てクリーナー「激落ちくんシリーズ」が有名です。

総務部の割場さんが休日にも関わらず倉庫を案内してくれました。

1階入り口から南に向かう通路を抜け、海側に面した倉庫の形状を見ると…

3階建の大きな建物が、海に向かっている船のような形をしています。津波が来た際には、この形状が「舟形屋敷」のように、水を左右に受け流すということ。

さらに、通路のシャッターを開けることで水の通路を確保し、津波の衝撃を和らげるそうです。その後、「河川津波」という特別番組を見る機会があり、水の流れが生死を左右したことを知り、その重要性を再認識しました。

静岡出身で創業者の現会長青木氏が、東北の震災を見てから「何かをしなければ」「津波から300名の従業員の命を守るために」という思いから、平成24年にこの倉庫兼津波避難所を建設しました。企業理念に「社員が理想とする会社」を掲げ、有言実行している経営者です。

1階から階段で屋上に向かいました。(エレベーターもありますが、実際の避難時を想定して歩くことに)

広い屋上の中央には、レックの文字が。ヘリコプターの目印になっています。

4階屋上の高さは22m。東海地震で想定される津波は8mと言われていますが、想定外のことも予測し、この高さにしたそうです。

海岸線から700m、海抜4Mで、当時は近くに避難できる建物はありませんでした。この倉庫は、周りの住民にも使えるように、近隣の方や組長に合鍵を渡すことで、従業員のいない休みの日でも利用可能。地域住民も含め、1000人以上が一時避難できるように作られています。

4階の備蓄倉庫には、500人が5日程度過ごせる水と食料が備えられています。いつ来るか分からない自然災害の為に、これだけの備蓄を継続していくことは並大抵のことではないと思います。

備えあれば憂いなし。備えの美学がここにありました。

最後にみんなで記念撮影。普段生活している中では触れることのない、様々な防災の姿を見て色んな人と意見を交わす中で、気づきや新たな発想を生む良いツアーでした。

命山という名の津波避難所 ー清水区三保【三保命山(いのちやま)】ー

「命山(いのちやま)」とは

台風や津波で地域が浸水したときに、住民が避難するためにつくられた、人工高台の通称。静岡県袋井(ふくろい)市湊(みなと)地区の遠州灘(えんしゅうなだ)から約1キロメートル内陸には、江戸時代の1680年(延宝8)に起きた津波の被害を教訓としてつくられた二つの人工高台、中新田命山(高さ5メートル)と大野命山(高さ3.7メートル)が残っている。ー「コトバンク」よりー

ハート防災Jです。いきなり命山の説明から入りましたが、みなさん「平成の命山」をご存知ですか?袋井市が、先人の教えに習って、南海トラフの最大津波高10mを想定して造った、約1300人が避難できる人工の高台の通称です。

そして、静岡県中部地区初の命山が三保にあると聞き行ってきました。

小高い公園といった様相で、津波避難所というお堅いイメージは感じません。道路からの高さは7mで頂上の避難場所は海抜8.7m。ここの土は、由比の地すべり対策用に進めた排水トンネルで掘り出した土を使用しているとのこと。由比と三保が繋がってます。

高台の両側にスロープがあります。お年寄りや子ども、車いすも大丈夫。

登ってみると、「おっ、広い」。面積は400㎡で、収容人数は800人。天気が良ければ、富士山が綺麗に見えそうです。”富士山の見える丘公園”と言っていいかもしれませんね。

命山は、避難タワーに比べて維持に掛かる費用が少なく耐用年数がないというのが特徴。それでいて、有事以外でも地域で利用できるわけだから、これはいいです。

柵沿いの花に春を感じます。ベンチは座る部分が蓋になっていて、鍵が掛かっていましたが、中には避難時に必要なものが格納されているのでしょう。最近見かける機会の多い、匠の知恵ですね。

健康快動なる足つぼに効く施設もありました。近所にあったら散歩がてら来たいです。

土地は三井・デュポンフロロケミカル(株)が静岡市に提供し、平成28年3月に完成。三井・デュポンさん、さすが。素晴らしい。企業の地域貢献がもっともっと増えるといいのに。同社は命山のすぐ近くにあります。

ここは津波避難所です。看板がありました。その中に

「みんなで助け合い!」という言葉。子どもがおばあちゃんの手を引いています。

実は、命山に辿り着くまで三保に到着してから1時間を要してしまいました。HPで見た住所(三保760)通りに走っても行きつかないんです。近くの店で、写真を見せながら聞いても、「あるのは聞いたことがあるけど、どこにあるかは?」。「たぶんあそこかな」と教えてもらった先は、全く違う場所。静岡市の「危機管理総室 危機管理課 防災施設係」に電話して聞いて、近くまで来ているがわからず、最後に三井デュポンの社員に聞いて、何とか辿り着きました。後から気がついたのですが、グーグルマップを良く見ると、三保命山の文字が。三保命山で検索したら一発で出ました。

行ってみたい方はグーグルマップで。辿り着くまでの道が少し細くて不安になりますが、クルマで行けます。「三保命山」で検索。

収容人数が800人ですから近所の方が知っていればいいんだと思います。でも歩いて10分程度のところにいる人も知らないのはショックでした。こんなにいい施設なのに。

そんなことがあって、避難所の看板のように、子ども達がお年寄りの手を引いてここまで案内してくれればいいな、と思ったのです。

迷ったおかげ?ではないですが、命山に行きつくまでに多くの避難タワーに遭遇しました。

三保760の住所で辿り着いたのがここ。用地は東海溶材(株)が提供。鍵が掛かっていて登れませんでしたが、地震時は自動で開錠されるようです。

遊歩道の先で発見した避難タワー。

三保には全部で6基の避難タワー(命山含む)があります。ふれあい広場というのが気になったので行ってみました。

国鉄(今のJR)清水港線の終着駅「三保駅」の跡地につくった公園で、工場夜景が見える避難タワーとしても有名。当時のディーゼル機関車も見る事ができます。

三保地区の津波避難ビルの案内がありました。

三保地区は車で走っていて感じましたが、高い建物が少ないんです。だからこそ、避難タワーや避難先の情報共有が命を左右すると思われます。海抜1m~2mのところで生活しているわけですから。

そして気になったのが、津波が平日の日中に発生した時、お年寄りは自力で避難所までいけるのだろうか、ということ。土日や夕方以降なら近くに若い人もいるでしょう。でも、若い人たちが仕事や学校に出かけている時間だったら・・・。

ハードも大事だけど、「みんなで助け合い!」の仕組み作りはもっと大事かも。そして、避難所に関する正しい情報、正しいルートを地域住民が知っていることの重要性。

命山のような、自然と一体化した避難所が増えることを祈りつつ、避難所の有効利用を介して、地域住民のつながり、助け合いの文化が育まれるといいな、と感じる取材でした。

 

【レポート】キックオフイベント第1弾「まちめぐり 焼津・浜通り」

”洪水・高潮・津波に向き合う地域の暮らしの工夫を知る”

ハート防災Jです。2月25日に行われたハート防災キックオフイベント「まちめぐり◆焼津~吉田編」に参加してきました。レポート第一弾は焼津の浜通り。昔から高潮などの自然災害と向き合い、生活に工夫を凝らし、時には神に祈る。この地で暮らし続けてきた人々の地域防災の歴史、取り組みを知る良い機会になりました。

焼津公民館に30人近い参加者が集まり、まずは開会の挨拶。

まちめぐり案内人は、松田民俗研究所代表の松田香代子さん。日本民俗学を専門に、「富士山信仰」や「災害と民俗」に関する調査、研究などで活躍され、先人の教えに精通した方です。

13時15分、まち歩きスタート。最初に向かった先は

荷物を運ぶ運河として利用されていた「堀川」は、浜通りに押し寄せる高潮を逃がす放水路の役割も果たしたそうです。その重要性を、まち歩き後半でより知ることになります。

海抜2.8mの表示がありました。海抜は近隣の海水面から計った陸地の高さです。このエリアでは多くの避難タワーを見かけますが、津波対策には欠かせません。大事なのは、自分が住んでいる地域のことを知ること、どこに逃げるべきかを知っていること。それが分かって行動すれば助かることを、神戸で取材した「人と防災未来センター」で学びました。

漁業関係者が厚く信仰している護心寺(北の弁天さん)。松田さんが、地域との関わりをわかりやすく説明してくれます。

各スポットには、NPO法人「浜の会」の説明表示があります。約300年前に、海上安全、災害除難を祈念し木彫りの座像・弁財天が合祀されたそうです。無事を祈る家族の思いは今も昔も変わりません。

海岸近くには多くの波除け地蔵があったそうですが、焼津をこよなく愛した小泉八雲(明治時代の小説家であり日本民俗学者。ギリシャ出身でその後日本に帰化。著書に英語で著した「怪談」は有名)にちなんだ波除け地蔵もあります。詳しくは、焼津市ホームページの八雲地蔵を。

浜通りには昔から、高潮・高波から住民を守るために、地区ごとに3体の波除け地蔵があったそうですが、堤防の改装のたびに移動して今では4体を残すのみ。現在の堤防ができて高波の心配が無くなった今も、波を避けたい住民の信仰先として受け継がれています。

安泰寺墓地の波除け地蔵。

札の辻の波除け地蔵は改装中につきミイラ状態でした。

青峰山勝景院の波除け地蔵。青峰さんと呼ばれ、海難に会った時に「青いなあ、青いなあ」と叫ぶと助かると伝えられているそうです。今の若い漁師さんが叫ぶとは思いませんが、平成の今もお地蔵さんを引き継ぎ、花を添える、どれだけ堤防が高くなって避難タワーができても、変わらないものがあります。

今回のまちめぐりで特に興味深かったのは、先人たちの暮らしの工夫。玄関前を見ると、道路から1~2段高く建てられている家が数多くあります。

堤防を越えた海水の侵入を防ぐ波除け堰。板まで残ってるところは数少ないそうですが、

「海味工房ぬかや斉藤商店」のご主人が実際に板をはめて説明してくれました。新しい堤防ができる前は、台風が来ると大雨と高波でこの辺一帯が水浸しだったそうです。

港沿いを走るオーシャンロードには海抜6mの表示。えっ、歩き始めで見た海抜表示が2.5mだったから・・・。そう、海岸沿いよりも内陸の方が低いんです。だから、高潮・高波で溢れた海水や暴風雨時の雨水は、海から町に流れ込んでくるのです。

浜通りには水を逃がすための小路が何本も通っていて、海側から陸側に傾斜し、その水は冒頭で紹介した堀川へと流れていきます。土地を知り、土地と生きる、先人の知恵と工夫が今もまだ機能し、町を浸水から守っています。

平成7年に新堤防が完成するまで、明治~平成にかけて焼津を守ってきた石造りの防潮堤を再現。当時の写真と一緒に後世へと語り継いでいます。

浜通りからバスで移動し、八雲地蔵を移設した光心寺へ。

お寺の説明の中に、小泉八雲が書いた、泣いてるお地蔵さんの絵がありました。

奥さんのセツさんに反対されて、修復されることなくそのままの形で、光心寺に移ってきた波除け地蔵。もはや、お地蔵さんのカタチとは言えません。それでもこうやって大事に残して祀られているんです。

自然災害から家族を守るため

暮らしの工夫とお地蔵を祀ることは、別の様で同じもの。二つで一つの様なもの。

今回参加した方々は、何か感じるものがあったようです。こうやって歩いて、見て、知ることで、防災アートのヒントが見つかるかもしれません。

しずおかHEART防災プロジェクト キックオフ・イベント開催!

しずおかHEART防災 キックオフ・イベント
まちめぐり&座談会「“未”被災地のための防災アートは可能か?」

しずおかを場とし、「防災」というテーマに対して、アート/文化にできることは何か・・?
しずおかHEART防災プロジェクト1年目のキックオフ・イベントとして、
テレビ出演でもおなじみ静岡大学の小山真人先生はじめ豪華案内人による、しずおかを見て知る「まちめぐり」と、話題のアーティストはじめ多彩な登壇者が防災とアートについて話しあう「座談会」がセットとなったイベントを開催します。
ご参加のみなさんも一緒に、さまざまな「可能性」を探りましょう。
参加は無料。ぜひご参加ください!
※まちめぐりは事前申込が必要です。

イベント詳細や申込方法についてはこちら

 

■第1弾 2018年2月25日(日)  ☆終了しました
まちめぐり ◆ 焼津~吉田篇
“洪水・高潮・津波に向きあう地域の暮らしの工夫を知る”
案内人:松田香代子氏(松田民俗研究所代表)
座談会 ◆ 焼津市役所アトレ庁舎3階 焼津公民館 会議室6
パネリスト:
窪田研二氏(インディペンデント・キュレーター/KENJI KUBOTA ART OFFICE代表)
藤井基貴氏 (静岡大学教育学部准教授/防災総合センター准教授)
松下徹氏 (SIDE COREディレクター/アーティスト)
松田香代子氏(松田民俗研究所代表)
コーディネーター:
平野雅彦氏 (静岡大学教育学部特任教授/人文社会科学部客員教授)

■第2弾 2018年3月3日(土) ☆終了しました
まちめぐり ◆ 函南~三島篇
“地球の営みから生じる 美と畏れを感じる”
案内人:小山真人氏(静岡大学教育学部教授/防災総合センター副センター長)
鈴木雄介氏(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員)
座談会 ◆ 会場:三島市民文化会館 第2会議室
パネリスト:
小山真人氏(静岡大学教育学部教授/防災総合センター副センター長)
鈴木雄介氏(伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員)
住 康平氏(Cliff Edge Project代表/美術家)
松本圭司氏(郷土雑学)
コーディネーター:
平野雅彦氏(静岡大学教育学部特任教授/人文社会科学部客員教授)

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ウワサの「そなエリア東京」に行ってきました!

こんにちは。HEART防災、Sです。
先日ついに、うわさの「そなエリア東京」に行ってきました!!

「そなエリア東京」は、国の災害応急対策の拠点として整備された「東京臨海広域防災公園」内にある、防災体験学習施設です。

1階には、津波の高さや速さが体感できるコーナーや、防災グッズのショップがあります。

2階は、学習施設。さまざまな啓発展示がめじろおし!
いざというときに生き抜くヒント、防災グッズ、防災ゲーム…etc.

このイラストやデザインはたぶん、最近「防災のデザイン」に欠かせない存在となっている、寄藤文平さんですね。
同じ展示でもデザインや構成の工夫で「見る気にさせる」。
これもHEART防災が考えるべきポイントのひとつです。

アニメ「東京マグニチュード8.0」のアレンジ版も会場内のモニターで見ることができました。機会があれば、これ上映したいなぁ。

上からはオペレーションルームが覗けましたよ。
映画「シン・ゴジラ」のシーンが回想されます!

静岡県庁にも焼津の防災拠点にも、こういう設備がありますが、やはり規模が違いますね。

そして、何と言ってもこの施設のウリである、防災体験「東京直下72h TOUR」!
(以下、ネタバレ注意!)

予約時間に受け付けをし、タブレットを借りて首からぶら下げます。
体験人数に制限があり、時間を区切っての入場となるので、当然係員さんが案内してくれるんだろうと思いきや・・・ほぼ操作の説明のみで、いきなりひとりでエレベーターに乗せられました!
映画館のあるショッピングセンターのエレベーター内で地震に遭う想定です。

ドアが閉まって、ちょっと緊張!!

無事エレベーターのドアが開き、裏ルートを通って、非常口のサインを頼りに、まずは建物から脱出を試みます。
SCのバックヤードっぽい演出もされています。

脱出した先には、被災したまちが再現されていました。
細部までよくできていてリアルです。
昔よく行ったナンジャタウンとかラーメン博物館みたいな。

まちのモニターでは、ニュースが被災状況や余震の危険性を伝え、緊急地震速報のあのチャイム音が断続的に鳴っています。

あ、向こうで火事が・・・

まちの中では、いくつかのポイントに誘導され、そこで出されるクイズに、タブレット上で答えていきます。

ポイントは複数あるのに全部をまわるわけではないので、スタッフさんに聞いてみると、どのポイントでクイズが出るかは端末によって異なるそうです。
一緒に体験する友達とも違うし、次に行ったときにまた違う、という楽しみもありますね。

無事、避難所の中央公園にたどり着きますが、そこではしばしの避難生活が。

そこには様々な課題があります。
私たち未被災地の者は、生き延びることは考えるけれど、その先のことまではなかなか考えられません。
でも、本当に想像力が試されるのはきっと、被災後の暮らしにおいてなのでしょう。

タブレットを返却するときに、クイズの点数がわかります。
ここは防災先進県に暮らすS!当然、満点でしたー!

最後にショップで「東京防災」を1冊購入。これは本当にいい取組みですよね。
がんばろう、静岡の防災!

この公園は、首都圏で大きな災害が起きたときにベースキャンプになるそうで、ヘリポート機能もあります。広場の向かいには病院がありました。
ふだんは都民の憩いの場として開放されています。この日は雪が残っていましたが、キャッチボールなどをしている人たちもいました。

そなエリア東京」。
東京なので「首都直下地震」がテーマではありますが、この国に住む誰もが、いちどは行ったほうがいいトコロだと思います。
熱心に見ていたので研修の視察か何かだと思われたようで、スタッフさんに声をかけられました。全国から問い合わせや予約がいっぱいなので、ご予約はお早めに、とのこと。
少人数で行く場合は、ふらりと行っても、先に体験時間を予約しておけば問題なく入れそうです。
おススメ!!

 

ありのままを語り継ぐ野島断層―淡路市【北淡震災記念公園】

ハート防災Jです。神戸から明石海峡大橋を渡り、淡路島にやって来ました。

橋の向こうに見える神戸の街。23年前の1月17日に同じ神戸が炎に包まれていたことを、ここで記念撮影する人たちはどれだけ意識するのだろう?そんなことを考えてしまいました。もうすぐ四半世紀、長いような短いような。前を向いて歩くことは大切ですが、時には振り返ることも必要ですね。

明石海峡から車で20分。向かった先は、北淡震災記念公園。震災の時に表れた断層による地面のズレを当時のままに保存した野島断層は、国の天然記念物に指定されています。

まずは野島断層保存館へ。入っていきなり見えてくるのは、写真から飛び出した崩れ落ちる高架とトラック。凄い迫力です。コンクリートからむき出た鉄筋は、どれだけ頑丈に作っても大自然の前では100%安全なことはない、と言っているようです。それを限りなく100%に近づけるのが人間の知恵と努力ですが、驕りは禁物ですね。

入場料は大人700円。年中無休で、開館時間は9:00~17:00。

阪神・淡路と東日本、地元新聞社が二つの被災地を記録した200枚の写真が展示されていました。20年の間に2度も、同じ日本にこれだけの被害をもたらす地震が起こったことは信じ難いです。地震大国であり、108の活火山(世界の7%)を持つ日本。南海トラフ巨大地震、富士山噴火、いつ起こっても不思議ではないですよね。この先20年の間に、ここに静岡の写真が載らないことを祈ります。

立体地形で見る南海トラフ。脅威です。南海トラフの存在を知らない人が大勢いることの方がもっと怖いですが・・・。(正直に言うと、自分も名前を聞いたことがある程度でした。)

野島断層の説明。阪神・淡路大震災は活断層である野島断層が動いたことにより起こったもので、淡路島北西部に長さ10Kmに渡って地面のズレを生じさせたそうです。その内の185mを、ここ野島断層保存館で保存しています。

普段気にすることのない地面の下の断層。そして、生きているということ。地球から見ればちょっとしたズレかもしれないが、人間社会に与える影響は計り知れない。それが自然の恐ろしさだ、と語っているようです。

野島断層の地表のズレを復元した地形模型。ボタンを押すと、地表面の揺れと断層運動が再現され、かつての映画「日本沈没」を思い起こします。総理大臣役は丹波哲郎でしたね。

南海トラフもそうですが、脅威は目に見えないところに潜んでいて、計り知れないパワーを持っている。そして忘れたころに動き出す。見えないから忘れる。だから見せる、それが野島断層です。

北淡震災記念公園には野島断層保存館以外にも、大震災を語り継ぐコーナーが色々あります。神戸の壁もそのひとつ。

神戸の壁は、第二次世界大戦の神戸大空襲に耐え、阪神・淡路大震災では地震と火災に耐えた、神戸市長田区の防火壁を移設したものです。災害対応SSって何じゃ?で紹介したガソリンスタンドの防火壁を思い出しました。延焼を食い止める壁は、地域にとって頼もしい存在です。

地震断層が横切る民家を保存したメモリアルハウスには、震災当時の建物や地震直後の台所を再現した様子が展示されています。

時計は、地震が起きた朝5時46分で止まっていました。暗い中でこの状況です。怪我をすれば逃げ遅れる危険性も高まりますから、家具の転倒防止策は欠かせません。

震災を体験した小学生の感想。ちょっと色褪せています。

おばあちゃんは「千年に一回の大地震だ」と言った。お母さんは「自然が怒っている」と言いました。もうあんな地震はいやです。

いやでも来るのが自然災害。そのための防災・減災。23年後の今、この子たちも30歳を超え、親になっているかもしれません。防災・減災意識が薄れていないことを祈ります。

他にも、震災体験館や地震・津波のメカニズムを解説するコーナーなど、将来起こりうる大地震について色々と考えさせられる北淡震災記念公園。関西方面に行く機会があれば、是非立ち寄って見てください。

詳しくは公式ホームページ

外国から来たであろう女性がひとり、熱心にビデオを撮りながら回っていました。何語かもわからず話しかけられませんでした。

震災を語り継ぐ貴重な施設です。

生きていくために。震災から学ぶべきもの ―神戸市【人と防災未来センター】―

ハート防災Jです。人と防災未来センターに来ました。イザ!美かえる大キャラバン!の会場にもなっています。取材同行のYさんは2回目ですが、私はもちろん初めて。まずは建物の景観に驚きました。立方体が時間とともに成長拡大していく塩の結晶体をイメージして造られたそうです。

ん?何やら垂れ幕?と思いきや、南海トラフの巨大地震で想定される津波の最大波高(高知県黒潮町)を示しています。その高さ34.4m。3mを超えたらビッグウェーブで波乗りも躊躇するところを、その10倍って。こんなの来たらどうしようもないでしょ!

人と防災未来センターは、国の支援を受けて2002年に兵庫県が設置、阪神・淡路大震災の経験を語り継ぎ、未来に生かすことで、災害文化の形成、地域防災力の向上、防災政策の開発支援を図り、安全・安心な市民協働・減災社会の実現に貢献することをミッションとしています。ホームページはこちら

入場料は大人1人600円。JAF会員割引で450円に。ラッキー^^。時間も遅かったので待ち時間なしで入れました。ロビーに貼ってあるポスターを見ていると・・・

手前上の「つなみがくるぞ!高台へいそごう!」にビックリ。なんと小学一年生の作品。絵のクオリティ凄いです。そしてこの単純なコピーが後になってジワリと来るのですが、それはまた後半で。

エレベーターに乗り、まずは4階の震災追体験フロアへ。1.17シアター「5:46の衝撃」では大型映像と音で、地震破壊のすさまじさを体感できます。震災直後のまち並みをリアルに再現したジオラマ模型を通り、大震災ホールへ。復興に至るまでのまちと人をドラマで紹介した「このまちと生きる」を上映しています。4Fフロアは写真撮影NGなので写真をお見せできず残念ですが、映像ダイジェストはこちらから見れます。

23年前に本当に現実に起こったことなのか?と思う衝撃映像です。具合の悪くなる人もいるそうなので、ご注意ください。自然災害の恐ろしさと同時に、「このまちと生きる」からは、復興に向かう人間の強さを感じる事ができます。

3階は震災の記憶フロア。震災関係資料を提供者の体験談と一緒に展示しています。

大型パネルで見る崩れた高架道路。どんな頑丈な人工物も自然の前では模型のごとく。

写真右下にあるのは、折れたゴルフクラブ。どうすれば、こんなにポッキリ。

「女性一人この家屋の下にいます」助けたいけどどうすることもできない、でも生きて欲しい。生きていくために、誰もが必死。未被災者で戦争体験もない私には想像することすらできません。でも現実に起こったことなんですよね。

全国から送られた支援物資の紹介やボランティアの様子も紹介しています。被災状況をいっぱい見た後なので、着ぐるみと遊ぶ子ども達の笑顔に癒されました。そして、からわりくんって何だろうって。ネットで調べたけど出てきませんでした。(笑)

姪御さんの子から送られた手紙に励まされた人も。やっぱり大事なのは人と人の繋がりなんですよね。

2階は防災・減災体験フロア。災害や防災の方法を閲覧できる災害情報ステーションの他、防災学習のボードゲームや減災グッズなど、色々な角度から紹介しています。

ビスコ、懐かしいですね~。サクマ式ドロップ、「火垂るの墓」の節子を思い出すと、今でも涙が出てきます。(泣)

家具の固定、転倒防止策。阪神淡路大震災の地震による直接死5500人の内4400人が家屋の倒壊による圧死、窒息死で、その9割にあたる3960人が地震後15分内の即死。事前の備えが生死を分けるということです。

耐震補強、耐震構造、地震に強い建物に関する展示です。住宅関連で働く人必見のコーナー。

西館から東館へ移動し多目的ルームに向かうと、南海トラフ巨大地震に関する展示がありました。静岡県民には特に興味深い内容です。

太平洋沿岸に起こる津波の想定波高を表わしたグラフ。静岡にも最大波高10m~20mの津波が来ることが予想されます。

興味深かったのは、防災・減災対策の効果。最大32万人と想定される死者数が、防災・減災対策によってどこまで減少できるかという資料。一番の恐怖は津波ですが、全員が発災後すぐに避難開始して既存の津波避難ビルを活用すれば、23万人の津波想定被害死者の8割、約18万4000人の命が助かるというもの。

ここで思い出したのが、入り口にあった小学1年生のポスター「つなみがくるぞ!高台へいそごう!」。防波堤も大事かもしれないが、自分の命は自分で守る、それしかない。そして、声を掛けあう人と人の繋がりの大切さ。当たり前のことだけど、当たり前だからこそ大事なことですよね。

生きていくために・・・。人と防災未来センターから学んだことです。

自然災害に私たちはどう備えるのか?各地域での取り組みが紹介されていました。これも、生きていくために・・・。

静岡県が開発した避難所運営ゲームHUGも。HUGの内容は静岡県のホームページにて。

ぼうさい甲子園。こんなのもあるんですね。ホームページを見たら、昨年の大会で静岡大学教育学部の藤井基貴先生(※)のゼミがぼうさい大賞を受賞していました。でも、参加しているのは他県の方が多かったです。きっと知らない人がほとんどですよね。

(※ライターS補足~:藤井先生は学生とともに全国的に活躍する防災教育の第一人者。2月25日に開催されるこのプロジェクトのキックオフ・イベントにも参加してくださる予定です!)

日常からまだまだ遠いところにある防災。人は自然に弱い、でも生きていくための知恵や絆がある。まずは、できることをやること。人と防災未来センターと小学1年生のポスターから教わりました。防災素人の私も家具の転倒防止策やってます。あとは逃げ足を磨きます。(笑)

神戸に行く機会があったら是非寄ってみてください。

人と防災未来センター