防災学習室[しえ~る]に行ってきました! - 焼津市

こんにちは!HEART防災ライターのYです。

今日は、昨年3月にリニューアルオープンした、焼津市の防災学習室「しえ~る」に行ってきました。

「しえ~る」って不思議な名前ですよね。

伺ってみたところ、「しえ~る」とは、
学習室への来館を通じて「防災を理解できる!備えができる!」という願いをこめて、

「~をすることができる」という意味の焼津弁である『しえ~る』と名付けたそうです。

中にはいると、いきなり地震を体験できるコーナーが!

ドキドキしながら、体験開始!

まずは熊本地震から・・・

揺れがすごくて、写真が撮れませんでした!

ヒールを履いて体験したのですが、立っていられなく、
手すりを持ってはやくこの体験が終わることを祈りました・・・(笑)

ぜひ、この揺れは、体験してみなくてはわからないので、
しえ~るで体験されることをおすすめします!

熊本本震のほかにも、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)や駿河湾沖地震(2009年8月)の揺れなども体験できます。

地震の体験のあとは、焼津市防災航空隊「ブルーシーガルズ」が撮影したドローンによる空撮映像を組み合わせ、上空からの市内遊覧をお楽しみいただける『焼津空中散歩』もおすすめです!

癒されたあとは、しっかりお勉強です。

広い学習テーブルがあり、
焼津市の防災地図が表示されてるテーブルを囲み、避難施設の配置など焼津市内の状況を確認できます。

わかりやすいイラストと説明でかかれています。

さらに、異常気象を3D映像で体感できる風水害体験コーナーもあります。

本当にこわかったです。

他にも、
シアタールームや、防災グッズの展示など、さまざまなコーナーがありました。

防災について楽しくまなぶことができます。

みなさん、ぜひ一度、しえーるへ!

所在地:防災学習室しえーる

静岡県焼津市石津728-2 消防防災センター1F
入館料:無料
休館日:年末年始

 

24時間365日無料公開で震災当時の姿を ―神戸市【神戸港震災メモリアルパーク】―

ハート防災のJです。神戸にやってきました。震災後に訪れるのは初めて。震災の22日前に産まれた息子が23歳になりましたが、あの朝の衝撃は今でも覚えています。当然ですが、このブログを見ている人の中には、当時まだ産まれていない人もいるんですよね。

静岡から新神戸までは新幹線で2時間ちょっと。目指すは「神戸港震災メモリアルパーク」。被災当時の神戸港を一部保存し、24時間365日無料で公開している屋外見学施設です。

JR元町駅から繁華街を抜け、南へ歩くこと12分、メリケンパークが見えてきました。

公園の中に入り港の方に進むと、左手の港側に「神戸港震災メモリアルパーク」があります。

特に入り口も無く、どこから見るのが正解かもわからぬままに廻りました。(実はこの写真もひと回りしてから存在に気づき、同行のYさんと撮ったものです)

モニュメント(記念碑)は、震災が起きた時間、5時46分を表わしています。そして見えてきたのは・・・

街灯が傾き、コンクリートが砕けたメリケン波止場の一部。

被災した当時の状況を、できるだけそのままの状態で固定して、見える形で残しているそうです。

そうなんです。映像や写真はいっぱいありますが、実際の被災状況を見れるところはほとんどないんです。今回の神戸取材で、数多くの映像、写真を見てきましたが、一番頭に残っている絵はここかもしれません。23年経っても風化しない貴重な存在です

 

この状態がここだけでなく、阪神・淡路地域全体で起きたということ。今の神戸の街からは想像できません。

当時の波止場の様子を見れるコーナー。

神戸港周辺の被害状況を、地図と映像で見ることのできるコーナーもあります。

映像コーナーは、9:00~22:30の間、いつでも何度でも見ることができます。

韓国語、中国語、英語、日本語、4か国語対応。日曜日でしたが、訪れている方の8割以上が外国の方でした。地元の方にとっては、当たり前にそこにある存在なのでしょう。

平成9年7月竣工だから、もう20年以上、ここで震災の惨さを伝え続けてるんですよね。風化しないように。

今の神戸の街には、その欠片すら見つけることができません。その復興ぶりは見事の一言。

メモリアルパークの正面にそびえ立つ「ホテルオークラ」と崩れた岸壁の対比に、人間の凄さと怖さを感じずにはいられませんでした。

忘れたころにやってくる災害。

忘れなければやって来ない、と祈っているように見えた「神戸港震災メモリアルパーク」でした。

 

「災害対策施設」という選択肢 ―浜松市【マブチ工業】― 

震災現場を目にして、“自分たちにできること”の先にあったもの

ハート防災のJです。災害対策施設って聞いたことありますか。ネットで調べても、定義らしきものはなく・・・。

今回は、自社で災害対策に取り組まれ、今年1月に浜松市から「企業の社会貢献(CSR)活動表彰」の優秀賞を受賞された浜松市の工務店「マブチ工業」さんに話を伺いました。

馬渕社長です。以前一度取材させていただいたことがあり、一見強面ですが、とても気さくで優しく勉強熱心で、実行力の塊のような方です。その行動力は、2度の震災の時にも・・・。

阪神淡路大震災の1か月後、ゼネコン仲間の陣中見舞いに訪れた際に、悲惨な街の状況を目の当たりにした馬渕社長。ただ、その時は何もできなかったそうです。そして、東日本大震災の時は、バイク仲間のSOSを受け、一番困っている赤ちゃんのおむつやミルクを届けようと、震災の10日後、自ら現地に向かいました。(物資を送ろうと思って色々と聞いて回ったが、そこまで届くかわからない、と言われたそうです。じゃあ、自分で行こうって。すごいです、この行動力。)

津波の後に残った水と瓦礫の間を抜けて、現地に向かう中で目にした光景は、あまりにも酷かった。特に女川地区は想像をはるかに超えるものだったそうです。

その体験から、今この地で「何か自分たちにできること」がスタートしました。

まずは、被災地で一番困ったという携帯電話の電源確保の話を聞き、現場に行く際に積んでいる発電機を、会社に戻ったらすぐに充電するようにしました。何かあった時に、近所の人が使えるようにです。

そして昨年、社屋増築の際に、災害対策施設を完備。それは、会社裏の駐車場にありました。

パッと見ではわかりませんね。 結論から言うと、

災害が起きて電気もガスも水道も使えない時に、近所の人がココに来れば、水が飲めて、充電できて、料理が作れて、トイレもあって、夜でも明るい、そんな嬉しい施設なんです。

上の写真がバルク貯槽システムといって、ガスを燃料に下写真の発電設備と連動して電気を作ります。その電気が、社屋2階の灯りをつけ、夜でも駐車場を明るくします。

馬渕社長いわく、「暗闇のなか不安でいっぱいの時一番大切なのは、少しでも明るいところに人が集まり寄り添うこと」

貯水タンクには、なんと10tの水が。トイレの水にも使用。トイレは、ここ以外にも、駐車場通路に、下水に繋がる口を設けているから、非常用トイレとワンルームテントをセットにすれば、簡易トイレになるとのこと。トイレ、大事ですよね。

炊事場や炊き出しの道具も揃えてあり、4月には近所の子供たちを集めて、炊き出しを計画中。

災害対策車のトラックにも、1.5tの水と発電機(3日は持つ)を搭載。

場所や被害の程度にもよるけど、今までの経験から、3~5日我慢できれば何とか復旧してくる、とのこと。

なぜ、ここまでやるのか?

自分でもよくわからない。補助金も多少出るけど、ほとんど持ち出しだからね。」って、笑う馬渕社長。

でも、東北を見てなかったら、ここまではやらんかったかな~」とボソリ。

行動によってのみ状況は変わる。

そんな言葉がピッタリの馬渕社長でした。

帰りに、携帯用浄水器をいただきました。これで簡単に雨水も飲み水に変わるそうです。今度試してみよ。

取材協力/株式会社マブチ工業 http://mabuchik.com/

防災公園から情報発信ー吉田町【北オアシスパーク】ー

「防災公園」とは

「大都市を中心に地域の防災構造を強化するために整備され、非常時の防災拠点、避難地、避難路としての役割をもつ都市公園や緩衝緑地。(中略)かりに大震災が発生した場合、被災直後の混乱状態や、人の生命維持のための水・食糧などの物資が極端に不足した状態から回復するまで、およそ3日間はかかるとされている。防災公園は、その間の避難者の生活を補助するさまざまな機能を有する場所であり、災害時にスムーズに利用されるためにも、平常時は広大なオープンスペースや緑地を生かし、高齢者や乳幼児、子供、障害者など、幅広い人たちに親しまれる公園として整備された施設であることが望まれる。」コトバンクより 全文はこちら

ハート防災Jです。平成28年10月にオープンした吉田町の「北オアシスパーク」にやって来ました。

東名吉田インターから南へ2分ほど、道路案内標示もあり迷わず到着。完成して1年半なので、まだ新しい公園です。

防災というとどうしても地震を想定しますが、大規模な火事、洪水、がけ崩れも災害です。そうした災害が起きた時、即座に対応できる公園があるのは心強いです。

園内には、「かまどベンチ」「防災パーゴラ」「マンホールトイレ」「防災用井戸」「緊急用飲料水備蓄タンク」など、防災時に使用できる設備が整っています。

北オアシスパークの概要はこちらhttps://www.yoshida-machizukuri.jp/oasis-park

公園を見る前に、正面にあるオアシス館に寄ってみました。

ここだけ見れば、オシャレなカフェ。入り口前にはテラス席があります。

中に入ると、何やら床に・・・。

空から見た吉田町の写真です。

津波避難タワーや学校、公園の場所がマッピングされていて、吉田町全体の避難所状況がよくわかります。壁でなく床に置いたことで逆に見てしまう、ある意味アートな発想ですね。

防災用品展示室は、自由に閲覧可能です。

非常食の紹介コーナー。

防災に関する情報誌もいっぱいで、一部は持ち帰りOK。吉田町の地震防災ガイドブックは、なんと全40Pで内容がとても充実していました。ブロック塀の点検方法まで図解で説明していて、吉田町の防災意識の高さが伺えます。

マンホールトイレ。実物を見るのは初めてです。

家具・家電の転倒防止器具の紹介も細かい。ネットの写真だけでは伝わりにくいものを実物と図解で説明しているので、転倒防止器具を検討する際には見に来ると参考になると思います。

「帰宅困難時・災害時睡眠3点セット」こんなものもあります。

北オアシスパークは単なる防災公園でなく、防災情報発信基地という顔を持っています。災害時に生死を左右するのは情報。その大切さを忘れてはいけません。

防災以外の町の情報も充実しているので、吉田町への移住を検討される方は一度訪れてみるといいでしょう。良質なサーフスポットも近いので、サーファーファミリーにはおススメです。

公園の方はというと・・・。

とにかく広いです。手前に見える、丸いのは何でしょう。

マンホールトイレ用のマンホール。全部で8個あります。震災直後、水が使えない時に欠かせないのが、流す必要のないトイレ。水洗トイレが普及する前には想定されなかった問題です。便利になることで、今まで想定されない課題が産まれる。携帯が無いと何もできない人が増えていくことも怖いですね。20年前にスマホは無かったですから。

オアシス館の裏に駐車場があります。優先駐車スペース1台分を含めて51台が駐車可能。

そこから見えるのが、耐震性の貯水タワー。でかいです。

タワーには、吉田町の名所を案内するイラストマップが描かれています。無味乾燥なタダのタンクでなく、見て楽しくしようとするココロ、姿勢がいいですよね。ハードも、ハート(心)を込めて表現することで何か違うものに変わる、そんな気がします。

多目的広場。広大なスペースですが、災害時は68棟の仮説住宅用地になるので、遊具は周りに配置されています。比較的空いているので、子どもをのびのび遊ばせたい時におススメ。彩りもいいですね。

トイレもお洒落。

防災公園というと、どうしても固いイメージがありますが、避難所として使うことは災害が発生したとき。日常の中で楽しく遊べることが大事です。イベント会場としても利用が進む北オアシスパーク。4月28日、29日には、昨年好評だった「オアシスマルシェ in YOSHIDA 第2回」が開催されます。詳細はこちら(静岡新聞@S)

花、カフェスペース、床の写真、イラストマップ、遊具の色、お洒落なトイレ。

ちょっとした工夫やデザインが嬉しい「北オアシスパーク(吉田町防災公園)」でした。

足下にのこる津波の跡 ―湖西市【おんやど白須賀】―

ハート防災ライターのです。

静岡県内の防災に関わる、ヒト・モノ・コトや歴史などをレポートすることとなりました。

防災素人の私で良いのか?ラーメンならまだしも?という自戒の念を抑えつつ、素人ならではの視点で、少しでも多くの人に響く情報が届けば幸いです。

第一回は、湖西市にある「おんやど白須賀」。

津波に関する資料が展示してあるという情報を元に、何のアポもあても無く、訪問してきました。

「おんやど白須賀」は、東海道宿駅開設400年を記念し、白須賀宿の歴史と文化に関する知識を広め、資料の保存と活用を目的に設置された白須賀宿歴史拠点施設です。

おんやど白須賀の紹介はこちら http://kosaicity.com/onyado.html

白須賀宿は元々、汐見坂(潮見坂)下の海岸沿いにあったのですが、宝永4年(1707年)の津波被害に宿場が全滅、今の坂上の台地へ移転したのです。

カメラをぶら下げたおっさんが何やらしているぞ?そんな不安を払拭すべく撮影許可をいただいた所、アポなしにも関わらず館長の森さんが親切に案内してくれました。

入り口から中庭を抜け、展示室に入ると正面一面に、津波の記録コーナーがあります。

まず、目を引くのが、何か土の塊のようなもの。なんだ、これは?

2001年の道の駅建設の時に発見された土層を剥ぎ取ったもので、過去の津波の跡がわかるそうです。

1498年、1606年、1707年に起きた津波の爪痕が土層という形で残っていたのです。近くで見ると、少し黒っぽく、土質が違うのが分かります。

白須賀を襲った地震、津波の年表を見ると、改めて

地震、津波は繰り返すもの

自然災害から逃げることはできない

ことを実感します。

1707年の津波による全壊の後も、1854年、1944年と大きな津波被害に遭っています。

特に、南海トラフで起きた地震が静岡県に大きな津波被害をもたらし、その周期を見てみると、これから50年の間に同規模の地震が来る可能性が大きいことを、歴史が教えてくれます。

遠州灘、東海道、旧白須賀宿跡の位置関係がわかる空撮写真

1707年の宝永地震の翌年に高台へ移転した

 

これらの資料から感じるものは人それぞれ違うと思いますが、

繰り返す地震・津波は、忘れたころにやってくる

自然には勝てない人間の弱さ

それでも復興しながら生き続ける人間の強さ

が、足下に残る土層から伝わってきました。

とりあえず、津波予報が入ったら、何は無くとも高台へ走れ。

津波は防げずとも、津波予測の技術は、100年前より進化しているようなので。

 

取材帰りに、潮見坂ポイントへ。

波の良い時には、大勢のサーファーで賑わうメジャーポイントのひとつ。

サイズ、波質が良ければ入ろうと思いましたが、諦めました。

津波の時は、どんなだったのだろう?

宿場を飲み込む波は想像できません。

津波注意の看板。

どんな注意をすればいいのでしょうか。